コザクラインコのあんこちゃんが、この世での時間を終えました。
闘病期間は約2か月。長かったようであっという間でした。亡くした直後の正直な思いを今日は記事にしました。
亡くして一週間
頭の中は混乱していて、ふとするとクラクラします。
何かをしようとしても手が止まるし、自分が何をしようとしていたのかさえ分からなくなることもあります。
お昼寝をしたはずなのに、夜になると急に強い眠気に襲われたり、逆にぼーっとして何も手につかなかったり。
これは悲しい、とかいろんな感情がごちゃ混ぜになって、ただただ、現実が追いついていない、という感覚。
毎年アップデートしてきた保温の記事、毛引きで悩んだこと、何度も吐きながらもその都度保温で乗り越えてきたこと、私たちの生活リズムが変わったこと……。
本当は、ブログにあんこちゃんのことをたくさん書こうと思っていました。実際に書きかけの記事もあります。
お別れした日は、6歳の誕生日を迎えたばかりでした。
悲しみと後悔と怒りと混乱と
この悲しいお別れを迎えるまでに「2か月」ありました。
- 2か月の間に、やっぱり何かできることがあったんじゃないか。
- 反省を、もしまた次に新しい子をお迎えする日が来たときの糧にしたい。
- 文章に残すことで、自分の気持ちを少しでも整理したい。
同じように、大切にしていたペットを亡くされたばかりの方が、もしこのブログを見つけてくださったなら、その悲しみを少しでも共有できたら。
亡くした悲しみと後悔と自分への怒りとでとても混乱していて、ふとした時に涙があふれてくる。そんな状態だったので、言語化にはチャットGPTを活用しました。
言葉にして吐き出す、それを時間が経ってから眺める、チャットGPTからの自分の現在地に関する客観的な観察やペットロスに関する押し付け過ぎないアドバイス、また鳥さんに特化したペットロス相談会への参加など、喪失感との向き合い方に関してはまたの機会に記事にまとめられたらと思っています。
あんなに小さな存在だったのに
鳥さんなんて、最初は飼うつもりなんて全くありませんでした。
それなのに、あんなに小さな体で、あんこちゃんは本当にたくさんのものをくれました。
一緒に遊ぶというよりも、
おもちゃで遊んでいる姿や、ブランコに揺られてぼーっとしている様子、
家族と並んでくつろいでいるその空気に、ただ癒されていました。
「ああ、幸せだな」と感じる時間を、気づかないうちにたくさんもらっていました。
だからこそ、その日常が突然なくなった今、
その「何気ない風景」がもう二度と見られないということが、何よりもつらいのです。
消えていく痕跡が、つらかった

亡くなったあと、食べかけの餌や、使い古したおもちゃを片付けなければいけませんでした。
ひとつ処分するたびに、
あんこちゃんの存在をこの家から消してしまっているような気がして、
本当に苦しくて、手が止まりました。
でも、その中で
一番お気に入りだったカラフルなビーズのブランコや、思い出のあるおもちゃだけは残すことにしました。
全部を消してしまうのではなく、
大切なものを拾い集めて、思い出として残していく。
ガランとしたあんこちゃん部屋を見るたびにため息をついていました。
こうして写真で見ると、細々とした鳥さんグッズがたくさんあります。ワンコにはこんなにもありません(笑)すべて丁寧に掃除をして戸棚にしまいました。
買ったばかりのおもちゃや、なんとか食べて欲しいとそろえたシードやペレットなどは長男の幼馴染みがインコ飼いさんでもらっていただくことになりました。
後日おもちゃで遊んでいるコザクラインコとセキセイちゃんの写真が送られてきました。とってもかわいくて幸せそうで、こちらも幸せな気分になれました。
「もっとできたんじゃないか」という思い
この2か月間、ずっと体重が減っていくあんこちゃんを見続けてきました。
なんとか増えてほしい、なんとか回復してほしいと願いながら、毎日お世話をしてきました。
それでも、今になって思うのは
「もっとできたことがあったんじゃないか」ということです。
もっと早く違う病院に連れて行っていたら。
もっと違う判断をしていたら。
あの違和感に、もっと早く気づいていたら。
そんな思いが、何度も何度も頭の中を巡ります。
そして、そのたびに
「あの時の自分は、あれが精一杯だった」と分かっているはずなのに、
それでも納得できない自分がいます。
介護うつや子どもが巣立ったあとの空の巣症候群など、何かに熱量を注いでいた後にその対象がなくなり、糸が切れてしまうような状況に陥ってしまう方の気持ちが少しだけ体験できたような気がしました。
怖くて、昼も夜も何度も見に行っていた
亡くなる前の数日間、
あんこちゃんがいつの間にか死んでしまうんじゃないかという恐怖で、
何度も何度もケージを覗きに行っていました。
眠っている姿を見ては、
「生きてるよね」と確認するような日々でした。
今思うと、その行動さえも
あんこちゃんにとってはストレスだったのかもしれないと考えてしまい、
さらに苦しくなります。
最期の時間が、頭から離れない
最期の日、あんこちゃんは弱りながらも、
大好きな場所にとまって、少しだけ粟穂を食べてくれました。体調を崩してから粟穂しか受け付けてくれなくなっていました。
あんなに嫌いだった私の手にもすんなり乗るようになっていました。(私の手は捕まえられて苦い薬を飲まされる手だったのです。)
そして、よろよろと歩きながら、倒れそうになりながら、
それでも動こうとしていました。
抱き上げたとき、羽をバタバタさせて、
そしてそのまま、動かなくなりました。
大好きな大好きな飼い主であるチビは、学校からの帰宅が間に合いませんでした。最後にチビに会いたかったんじゃないかな・・・。

その光景が、何度も何度も思い出されます。
忘れたいわけではないけれど、思い出すたびに胸が締めつけられます。
「次の子がほしい」と思ってしまった自分に愕然とする
亡くしてまだ2、3日しか経っていないのに、
「また鳥をお迎えしたい」と思っている自分に気づいたとき、正直驚きました。
あれ、自分ってこんなに鳥が好きだったんだ、と。
でも同時に、
これは本当に「また一緒に暮らしたい」という気持ちなのか、
それとも、この寂しさを埋めるために新しい命を求めているだけなんじゃないか、
そんなふうにも思いました。
あんこちゃんのいない現実を受け入れられなくて、
別の命でそれを埋めようとしているのだとしたら――
でもチャットGPTや夫と話しているうちに、私はまたあんこちゃんのような小さな生き物とチビとが触れ合っている微笑ましい景色をまた見たいだけなんだ、という気持ちに気づきました。
それでも、少しずつ受け入れていく
亡くなった翌日は仕事で、
不思議とその時間だけは悲しみに飲み込まれずに過ごすことができました。
闘病していたのは同僚も知っていて、亡くなったことを知らせると「エッ!」と驚いたあと、「ごめんなさいね。・・・でも鳥さんなのよね・・・」と苦笑していました。多くの方にとってはエキゾチックアニマルは小動物で、ただの「鳥」という認識だろうということはわかっていたので、特別気にはなりませんでした。でも、やっぱりそれ以上あんこちゃんの思い出話はできなくて、ちょっぴり寂しい思いをしたのも事実です。
そのあと、たまたま連休があり、
ケージを洗って、片付けて、鳥グッズを整理していく中で、
少しずつ、ほんの少しずつですが、気持ちが整っていく感覚がありました。
寂しい。つらい。受け入れたくない。
それでも、こうやって片付けていくことが、
現実を受け入れていく手順なんだと、実感しています。
最後まで、生きようとしていた姿を思い出す
あんこちゃんの最期の様子はしばらく頭から離れないくらい強烈なもので、苦しいとしか言い表せない瞬間でした。
でも時間が経つ中で見えてきたものがあります。
それは最期まで生きようとしていた姿です。
動物は、最後まで生きたいんだと聞いたことがあります。
低いところではなく、
高いとまり木にとまりたい。
最後まで、自分の力でご飯を食べたい。
あんこちゃんも、まさにそうでした。
弱っていく中でも、私が用意したケージの底に置いた止まり木ではなく、毎回クチバシでケージをよじ登り、一番好きな場所にとまっていました。
ほんの少しでも、粟穂を自分で食べようとしていました。
その姿は、
「かわいそう」という言葉では言い表せないものでした。
生きることそのものを、
最後までやりきろうとする強さ。
生きる執念というのか、
生き様というのか、
うまく言葉にはできないけれど、
私はその時間に、深く心を打たれていました。ペットの延命治療について賛否両論あるけれど、私はどちらかというと否定派でした。こういう姿を見ていると、最後の最期まであきらめないで治療に向かい続けるのも選択肢の一つなのではないか?と考えが変化しつつあります。
あんこちゃん色のお花とともに
あんこちゃんは今、我が家の小さな庭の片隅に眠っています。ここで安らかに眠ってもらおうと決心がつくまでいろいろありました。埋葬場所を決めるまでの過程はまたの機会に記事にしようと思います。
あんこちゃん色の優しいクリーム色と白いお花を買い、墓標になるものはないかと近所のホームセンターのペット館でウロウロしていた時です。
魚用の水槽に入れる小石がいくつか入っているカゴの中に、インコの形をした石を見つけました。
これだ!と思い、お花と一緒に買って帰りました。
あんこちゃんが亡くなったのは寒い1月でした。冷たい土の中で寒くないか、寂しくないか・・・しばらくはとても心が痛かった。でも、チビの

お参りできる場所が近くにあるのがいい。
この一言で吹っ切れました。あんこちゃんはここにいるけれど、ここにはいない。あんこちゃんとの日々を思い出す場所の一つがここなんだ、と。
その日以来、お庭の草取りや掃除・水やり、お花への声掛け(笑)も丁寧になりました。
ありがとう、そしてまたどこかで
こんなに小さな体で、
本当にたくさんのものを与えてくれて、
心の底から、ありがとう。
あんこちゃんは、
ここでの命を、ちゃんと生き切りました。
その時間は、確かにここに残っています。
そして、もし叶うなら、
またどこかで会えたらいいなと、
今はそう思っています。
あんこちゃん、またね。
おわりに
今もまだ、悲しみはそのままです。
何かが解決したわけでも、乗り越えられたわけでもありません。
ただ、こうして言葉にすることで、
自分の中にあるものを少しずつ外に出して、
ほんの少しだけ、整理しているのかもしれません。
もしこの文章を読んでいる方の中に、
同じように大切な存在を失ったばかりの方がいたら――
このどうしようもない気持ちは、
きっと一人ではない、ということだけ、
静かに伝わればいいなと思っています。
Happy インコ lifeを!

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