2017/06/10
批判・ネガティブコメントが来たら。ブログが書けなくなりそうな時に効く呪文。
今日も頑張って生きてる、ふくこ@fukufukulogです。
最近本家ブログの方がやっとやっと、PVが上がってきまして、ジワジワと皆さんの(ごくごく一部だけど。)目にも留まるようになってまいりました。
すると、こちらの意図とは全然違う所に引っかかって、記事を否定してくださるコメントもいただいたりするわけです。
正確には批判コメントじゃぁないと思うんですけどね。
やっぱり少なからずへこみますね。
そんな悶々としているときに浮かんだ、克服するための呪文。
ネガティブコメントがあった時につぶやく呪文
- 私のブログを隅から隅まで読んでいない
- 私のブログはまだまだ作りかけ。足りない所はこれから埋めていけばいい
- 記事のために選んだ言葉の本当の意味も理由も知らない
- 人は、読みたいようにしか読まない
- 人は、自分の都合のいいことしか取り入れない
- 画面の向こうからだけじゃ、伝わらないことがあるのは当たり前
- 私の記事を待ってくれている人がいる
とまぁ、自分の心の平静を保つために、いろんなことがぐるぐると頭の中を駆け巡った、数週間。(^-^;
私、『いい人』でいたかったんだ。
頭ではわかってるんです。
みんなに好かれる人なんて、いない。
ってこと。
でも、ネガティブコメントがついて改めて、
「あぁ、私、み~んなに『いい人』って思われたいんだな。」
「読んでためになりました!元気が出ました!!っていう、プラスコメントだけ望んでたんだな。」
私と接点があった人全員に認められたいんですね。
承認欲求ってやつです。
なぁんだ、私にもちゃんと赤い血が流れてたじゃん。
(冷たい人=青い血が流れてる、と思われることが多かったので。)
言葉は、その人の背負っている何かにひっかかる。
私にとってネガティブコメントをして下さった方も、その方の『正義』からなんですよね。
- 自分もかつて悩んだところ
- 知識はあるけれど経験がないから深く語れないところ(弱点だと思っている)
- 過去の自分と私の活動を重ねて見ているところ
・・・
コメントを拝見してると観えてきます。
だから余計に強く反応してしまう。
文章は理論的に見えて、実はその文字の裏に焦り・危機感・後悔etcが見える。
なんでわかるのか?
その人の書いているブログも読んでいるから。
その人の言動が私の心の平穏を乱しているなら、見なきゃいいのに、私。
気になっちゃう辺り、人間ちっさいわー。
言い訳に費やす時間をブログ執筆時間に
- 私はいい人と思ってもらいたいです。
- みんなに認めてもらいたいです。
と、
サッサと開き直って、言い訳に費やしている時間をブログを書く時間に充てよう。
ただでさえ、時間がないんだもん。
前へ、前へ。
おわりに
いつかは来ると思っていた、ネガティブコメント。
初めてじゃないんですけど、まさかこの人にこう書かれるとは!という驚きもありまして。
書いてスッキリしたかっただけです。(^-^;
おかげで、本家ブログの何をどう追加して整理していくか?が見えましたし。
私のブログで検索を止める!
この心意気で今後も本家ブログの記事を丁寧に書いていきたいと思います。